復讐 恨み


厭 魅(えんみ)


厭魅が庶民にも広く広まったのは平安の頃、『森羅万象には神(精霊)が宿る』という思想が基となり、『人型(ひとがた)の物には魂が宿る』との思想から、人形(ひとがた)に念を込め憎い相手を呪う方法です。
人形(ひとがた)をした紙代(かみしろ)を呪う相手に見たて、念を込めながら名前と生年月日を書き、それを針 で刺したり釘を打ち込んだりなどして、相手を呪います。矢で射抜く方式を『仙法(そまほう)』、 槌(つち)で叩くものを『天神法(てんじんほう)』、釘や針を突き刺すものは『針法』と呼び、効果に差はありません。
効果を強くもたらしたい場合は、念を込めた人形(ひとがた)に呪術者の血を数滴垂らし、血に染まった部分 を針などで刺します。
術が終わった後の人形(ひとがた)は燃やします。

蠱 毒(こどく)


数十匹の蟲(蛇、百足、蛆、蜘蛛、蚕、蜥蜴、蛙等)を一つの壺に封じ、土中に埋めます。すると蟲達は、やがて自分だけでも生き残らんと共食いを開始し、凄惨な共食いの果てに、最後にたった一匹のみが生き残ります。その1匹の身には、壺の中で殺され貪り喰われた数十匹分の毒と、怨念と、力が宿っています。その、毒と怨念と呪力を凝縮した1匹を、呪術に使います。
すり潰し粉とし、憎むべき相手の家の敷地内に撒くことにより災厄をもたらします。
すり潰さず、生きたまま相手の敷地内に入れても良いのすが、効果は若干低くなります。

ここで紹介させて頂いている『厭魅(えんみ)』と『蠱毒(こどく)』は 養老律令の中の「賊盗律」に記載があるように、厳しく禁止されていたものです。実際に処罰された例として は、769年に県犬養姉女らが不破内親王の命で蠱毒を行った罪によって流罪となったこと、772年に井上内親王 が蠱毒の罪によって廃されたことなどが『続日本紀』に記されています。
平安時代以降も、たびたび詔を出し て禁止されているもので、現在では、『厭魅(えんみ)』や『蠱毒(こどく)』を行ったことで罰せられるこ とはありませんが、禁術であり、軽々しい気持ちや、いい加減な気持ちで術を行うと大変なことになることもあります。


次へ進む