<楽しく、みんなで、日本の歴史を、お祭りさわぎで!>
日本古代歴史裁判・

<紛争の要点>

 

 本件調停に踏み切った私の意図
 
 群馬県および高崎市の「日本の古代」について書かれた解説等を読むとき、また、それらに関して、担当者に質問をした際でのやりとりでも、何やらおかしいと思うことが多々あります。考古学者は「形として残らない物は信じない・・・」と言うことなのでしょうか。調査する側の立場として、考古学的な手法で証明できないというだけではないでしょうか。どうも日本の古代史を扱う人達、特にむしろ専門の主流の学者の諸説は論理性に欠けていて、日本の古代史は、この非論理的認識で構築されている点があると感じます。それは裁判的感覚から見ると何やらおかしいのではないでしょうか。
 
 ですから、歴史において、特に古代史の分野で、ある事実・事象等を、裁判(調停を含む)における事実の有無の認定作業によって明らかにしてみたい・明らかにする必要がある、ということです。もう少し具体的に言えば、私なりに把握した現時点での資料に基づいて過去を認知・構築し、その結果、高崎市・群馬県の認識が非論理的であることを司法の場を通して確認する、ということです。
 
 その「非論理的」な現れが「多胡碑文誤訳解釈」および「漢字以前に日本には文字はなかった」との認識に関してです。
 私はこれら非論理的で不当な歴史解釈によって「ふるさとの歴史喪失のつらさ」という精神的・心理的ストレスを感じています。つまり、高崎市民・群馬県人・日本人として正当な歴史認識の元に生活できず、名誉を傷つけられ(名誉毀損)、精神的苦痛を日々受け続けていると感じています。
 この精神的・心理的ストレスの社会的要因(社会問題)を裁判(調停)の過程で明らかにしたいのです。
 
 そして、これら諸事情の背景には、不当な社会的圧力・近代化の歪みといった、歴史が作り出した慢性的な社会病理という深い理由があるように思えます。これは「上毛かるた制作の経緯・決意」(添付書類1とも通じるものがあります。
 私は、このままでは「日本民族の誇りを失ってしまう」そして、「群馬の歴史、文化に関して、郷土を誇りに思えなくなるかもしれない」という危機感を抱いています。
 

清水靖弘
平成31年(2019年)4月2日