* 人のケツ見て25

 

その32「クアドラ・フォニックス2」

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「ストリート・バリュー」は91年の7月に出ている、曲調はよりアメリカンハードロックよりになったが、

「王様の耳からロボットが飛び出して裸になった悲しみが今日もアメに化ける」など多少シアトリカルな側面もあり、

リツ君の苦悩の跡もしのばれる。

「スターリン」の新曲を書くというのは難しい・・・。

「奇跡の人」は翌年の12月に出ているから、随分空いている、その間はツアーをやったり、

僕は僕でチョロチョロセッションワークをやっていた訳だな。

「ストリート・バリュー」も売れず。アルファとミチロウさんの関係は良くなかった。

が、ライブを取り仕切ってくれたキョードープロモーションは親身になってくれ、良い関係を保っていた。

キョードープロモーションの社長、永島トムさんは「好きだからやる」というタイプの人で、即身仏に近い。

ミチロウさんもトムさんは信頼していた。

やりたいからやっているが、ナアナアにならず、しっかり現実にそくしたコミュニュケーションもする。

こういう人は得がたい。

 

アルファとの契約がもう一枚残っていて、レコーディングのミーティングが始まった。

プロデューサーを立てようという話になって、紹介されたのが岡野ハジメさんと吉田仁さんの「クアドラ・フォニックス」。

クアドラは当時二人のやっていたユニットの名前で、岡野さんは元PINKのベーシストでその頃はすでにプロデュースを始めていて、

吉田さんはサロン・ミュージック。

この二人が登場した裏には岡野さんと繋がりのあるエンジニアの寺田さんの口利きも有ったかもしれない。

 

この二人はともかく進取の気合に溢れていて、通常ギャランティーでやるところを 制作費を全部管理してスタジオの選定から

何から全部自分たちでやるというやり方をアルファと交渉して貫いた。海外ではずっと当たり前のやり方で、最近でこそ日本でも

こういうケースは増えたが、この頃このやり方は走りだった。二人にとっても実験だったのではないか?

もうこの時期制作費もそんなには無かったはずで、実際スケジュールはタイトになった。リズム録りなど1日3曲位録らないと

間に合わない。

 

リハーサルに入った。

バンドである程度モチーフを上げたところで、スタジオに岡野さんが来た。

二人の役割分担はこの時は金銭的な事を吉田さんが管理する事になっていたようで、音楽的なことは岡野さん。

実際吉田さんはほとんど口を出さなかった。

数日間岡野さんとスタジオに入り、あらかた形が出来たところで、僕は岡野さんの家に呼ばれた。

初めて行った世田谷通りの当時の岡野さんの家は、アナログマルチを入れた卓録のスタジオにもなっていて、

呆れるほどたくさんの楽器とエフェクターが子供部屋のオモチャみたいにそこら中に転がっていた。

 

岡野さんは物凄い勢いで譜面を書き始め、テープを聞いては構成を決めていく。それもマジックで。

あれこれ悩んで書き直しなんて頭に無いらしい、もう即決即決。

その早いこと早いこと。

バンドの仮の構成のデモを聞きながら「君たち構成ヘタッピ、長い。」へへーーーー。

構成が決まるとドラムのアレンジ。これまた早いのなんの。

今までやってきた事とは随分アレンジのテイストが違った。

 

全体としてはシンプルでコンパクトなアレンジなのだが、特にミドルテンポの16の曲に関してはドラムの2小節位の

パターンをパートによって全部決めていく。場合によってはフィルも指定。

4小節にわたる指定されたフィルを含むパターンもあった。

こうした数小節にわたるパターンは簡単なヘッドアレンジではなかなか出てこない。

人ケツの30に書いたが、世界的にはロックのビートの主流は16に移行しつつあった、

当時のスマッシングパンプキンズをステージの袖で見たときも興味は持ったが、それがどういう発想で構築された物なのか、

創造も出来なかった。岡野さんは既にそのアレンジのキモを把握していた。

 

当時の僕があまりやった事の無い16分裏を多く使ったパターンが多く。不安になったが、とりあえず否応なし。

否応無いのだ、岡野さんはそういう人なのだ。

「この曲の雰囲気はこんな感じ。」と次から次へとレコードを聞かされ、

で、譜面の束もらって「三原君やっといてね。じゃあ。」

 

これがまあ出来なくて出来なくて・・・。

ローザの頃にも「デリックさん物語」など16ビートの曲はやっていたが、割と雰囲気と聞き覚えでやっていた。

がパターン全部指定されちゃうと足が行かなかったり、雰囲気でやっていると、不用意にハネてしまう。

それに16分裏は慣れていないとどうしても突っ込んでしまってノリがシャバダバになる。

その後のリハでも岡野さんに随分指摘された。

微妙な部分の正確さがどうしても出ない。

 

そこで、練習方法を考えた。

ま、ドラム叩かない人にはさっぱり分からんと思うが、まあ聞いてくだされ。

 

どうして16分の裏は突っ込むのか?慣れていないからだ。慣れるにはどうすれば良いか?

慣れようにも正確な16分裏はどこが正しいのかが正確にわからない。

ちょっと待てよ、両手で16分を刻めば、左手が16分の裏、という事は両手で16分が刻めれば、左手と右足のシンクロを

感じられれば正確な位置は分かる。幸いな事に両手で刻む16分には自信が有った。

僕の8ビートが比較的ましなのは、8ビートではキックのアクセントは右手とシンクロしていれば位置がわかるからだ。

位置が体感出来なければ当てずっぽうになるのは理の当然。

そこで、クリックを鳴らし、テンポをずっと落として家で練習台でやってみた。

両手、特に左手と右足が常に関連を持っていることを意識しながら、曲のパターンを練習してみる。

もう脂汗たらしながらやったなあ。逆に言えばそれだけ16ビートに関していい加減にやっていたという事だ。

要求された事も無い。そういった事をちゃんと指摘できる人間と初めて会った。

 

でもその内コツがつかめてきた。

連符の場合、8分音符に対して16分裏がどこに位置するかといえば、2つしかない。前か後かだ。

基本的にはこの2つのアプローチに足首が慣れればどんなパターンでも正確に踏める。

8ビートの時は4分を 16ビートの時は8分の音をメインに考え、それ以外は装飾音と考えるという今の考え方も

おぼろげに見えてきた。装飾音は軽く足首ではじき、メインの音はぐっと踏み込む。足が常にテンパラずに済む。

サンバキックも練習してはいたので、16分裏が正確に見えればこれらは比較的すぐに出来た。

上体は常に拍を取る。両手はそれを16分に分周する。

からだの中でリズムが重層的に取れてノリは良くなり、演奏は楽になる。

ある種非常にメカニカルなとらえ方だ。が、ある種人体は物理法則にのっとったメカでもあり、リズムはある種算数だ。

腰の関節を振り子と考えれば、大きな振り子なので、4分のような大きいリズムをキープするのにむいている。

肩、腕は8分に。それを指でさらに分周する。

僕は手首ではスティックは振らない。

 

もとい。

 

自信が出てきたので、空いた日に安達に付き合ってもらって下北のリハスタで練習もした。

安達は快く付き合ってくれた。パート練習ですな。

こんなに練習したの実際学生の頃以来だったが、何しろ出来るようになって行かないと、レコーディングが破綻する。

切羽詰って智恵を絞った。

 

はっきり言ってこの時期、16ビートにシャカリキに取り組んだおかげでその後の10年飯が食えたと言い切れる。

今もジラフという23歳と21歳のユニットでドラムを叩いていて、やはりほとんど16ビートだが、

時代とのズレを感じさせないタイコは叩いているはずだ。

幸運だった。

でも、練習方法開発するところからはじめるなんて、僕も偉いのである。

この後も調子に乗って僕なりのリズム理論、奏法などいくつか考え出した。

 

ま、そんなこんなで、「奇跡の人」のレコーディング前夜、僕は冷や汗かきどうしで、練習三昧だったのだ。

 

 

 

 

 

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