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日本古代歴史裁判・

2、「漢字以前に存在していた日本の古代文字(ヲシテ文献・ヲシテ文字)認識」に関して

 
 群馬県および高崎市は「漢字の前に文字はなかった」ことを前提として下記のような説明をしているが、この認識は誤っている。
 
<誤った認識の箇所>

      • 群馬県立歴史博物館・常設展示図鑑での「文字」に関しての扱い、について
        • 「文字がない時代の・・・」(P18 上段・後ろから3行目)
        • 「日本における文字の使用は2千年前の中国との外交から始まりました。〜〜〜7世紀以降〜〜〜文字が普及しました〜〜〜しかし、多くの人々は文字を理解できず、文字に人や人の心を動かす力があると感じていたようです。」(P50 1-15行目)   
      • 群馬県立土屋文明記念文学館・「響き合ううたと人形」
        • 古事記・・・日本最古の歴史書であり(P84 写真解説)
        • 日本書紀・・・日本最古の正史であり(P84 写真解説)
        • 万葉集・・・わが国最古の歌集である(上段、後ろ4行目)
      • 高崎市・かみつけの里博物館「よみがえる五世紀の世界」(常設展示解説書)
        • P50 わが国最古の歴史書「日本書紀」

 
<誤った認識である理由>
 近年、ヲシテ文献(ホツマツタヱ・ミカサフミ・フトマニ)が発見され(正確には再発見・昭和41年)(添付書類6、7、8) 、解読されてきている(約12万文字)
 
(添付書類6、7、8)
添付書類6(ホツマツタヱ発見物語)展望社(出版元) ・展望社・ホツマツタヱ特集
7(ホツマツタヱ・国立公文書館所蔵) ・国立公文書館デジタルアーカイブより・(国立公文書館 パブリック・アーカイブ宣言
8(よみがえる日本語)明治書院(出版元)はじめてのホツマツタヱ(天・地・人)
 
 
 そのことにより、ホツマツタヱは記紀(古事記・日本書紀)の原書であることが判ってきた。よって、記紀は日本最古の歴史書・正史ではない(ホツマツタヱこそが日本最古の歴史書・正史である)。
 またヲシテ文献には和歌も多数掲載されている。なかでも「フトマニ」は百二十八首のウタ(和歌)が主となった文書である。もし、この「フトマニ」を歌集と捉えるなら、万葉集はわが国最古の歌集ではないことになる(要検証)。
 よって「漢字の前に文字はなかった」ことを前提としたの上記、群馬県および高崎市の説明、はもはや時代遅れで間違った認識である(付録4)。にも関わらずこのように表示し続けている事は、日本人の誇りを蔑む犯罪とも言えそうな状態とも考えられる。
 
よって、
 「漢字以前に日本には文字はなかった」という非論理的で不当な、高崎市及び群馬県の歴史解釈によって、私は、高崎市民・群馬県人・日本人として正当な歴史認識の元に生活できず、名誉を傷つけられ(名誉毀損)、精神的苦痛を日々受け続けていると感じています。
 
ゆえに
 申請人が感じているこの精神的苦痛に対して、高崎市から1円、群馬県から1円の支払いを要求します。
 

添付書類紹介

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