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日本古代歴史裁判・

3、「高度な言語体系や数字・数式等の体系」の存在は不可欠としか考えられないことについて

 
 高崎市・かみつけの里博物館の資料は素晴らしいと感じる、が・・・それゆえ、古墳の設計や構造・石製模造品の流通システム等の説明(付録5高崎市及び群馬県の解説)で示された状況は、それらを詳細に紐解こうとすればするほど、どう考えても「高度な言語体系や数字・数式等の体系」の内包なくしては成り立たない状況が多々見受けられる。
 これを裁判的に、状況証拠(付録5)のみによる判断を試みると、「高度な言語体系や数字・数式等の体系」の存在は「合理的な疑い」を差し挟む余地がない程度に証明されている(付録6、のではないだろうか。
 それにも拘わらず、これら文字や数字の存在に関して触れずに解説をしている事は、ある意味「不作為の作為」とも取れ、責任回避または無責任と捉えられなくもない。
 よって、高崎市・かみつけの里博物館の資料は解説書として、更にもう一歩踏み込んだ叙述の仕方を考る必要性を感じます。
 もし漢字以前に文字は無かったとの前提に立てば、これらの「高度な言語体系や数字・数式等の体系」は「中国語漢字」か「万葉仮名によるやまと言葉」での表記だったことになる。しかしそれならば、万葉集・古事記・日本書紀のように、漢字もしくは万葉仮名で、何かしら残っているはずではないだろうか。
 
 また一方で「古代文字(ヲシテ文字添付書類6、7、8)」を前提にすれば、「高度な言語体系や数字・数式等の体系」の説明はつきやすい(付録7)と思われる。
 
(添付書類6、7、8)
添付書類6(ホツマツタヱ発見物語)展望社(出版元) ・展望社・ホツマツタヱ特集
7(ホツマツタヱ・国立公文書館所蔵) ・国立公文書館デジタルアーカイブより・(国立公文書館 パブリック・アーカイブ宣言
8(よみがえる日本語)明治書院(出版元)
 
 よって以下で、高崎市群馬県で出土した古代の資料を元に、縄文土器の模様・埴輪の模様・前方後円墳等の模様・記号等と、ヲシテ文字とを照らし合わせてみる。
 
 まず、予備知識として、ヲシテ文字は下記の5元素で構成された四十八文字およびその特殊文字群で構成されている(添付書類6「ホツマツタヱ発見物語」p481)。

        • 5元素・・・ウツホ(丸型)・カセ(ドーム型)・ホ(三角型)・ミツ(逆S型)・ハニ(四角型)  (カッコ内の呼び名は、本件調停での仮の呼び方)
        • 特殊文字・・・左渦巻型・右渦巻型 等

 
 このヲシテ文字と、高崎市群馬県で出土した資料(縄文土器の模様・埴輪の模様・前方後円墳等の模様・記号等)とを照らし合わせてみると、それぞれ意味が考えられるものがある。

    • 土版・岩版(群馬県立歴史博物館・常設展示図鑑 p29)や土偶等に描かれている渦巻き(左回りと右回り)は、特殊文字として「アとワ」を表し、「天と地」を意味している(添付書類6「ホツマツタヱ発見物語」p378)
    • 八幡塚古墳他、様々な古墳の形・形状(前方後円墳など)の丸や四角の形は、ウツホ(丸型)・ハニ(四角型)
    • 「盾持ち人(高崎市八幡塚古墳)」の盾や「たすきを掛けた女(高崎市上柴古墳)」のたすきに描かれている三角模様はホ(三角型)
    • 耳飾り(群馬県立歴史博物館・常設展示図鑑 p36)の中にあるS字模様はミツ(逆S型)

 
 これらは、ある特別な区別・意味等を表現をする「図柄=文字」(ちなみに高崎市の紋章も発想はこれらと似ている)と考えることができる。もしそうであるとするなら、かみつけの里博物館の資料(付録5)で示されたその時代にヲシテ文字が存在していたことになる。ならば、当時使用されていたであろう文字数字等は、漢字や万葉仮名よりもヲシテ文字であった可能性の方が高いのではないか。
 
 実は既に我々は、目の前で縄文時代からの「古代文字」を目撃している、と考えられる(気づかなかっただけで・・・)。結局のところ、これらの謎を解き明かしてくれるのは「ホツマツタヱ(ヲシテ文字)」に勝るものはない。
 
よって、
 「文字数字等に言及していない」という高崎市及び群馬県の「不作為の作為」による無責任な歴史解釈によって、私は、高崎市民・群馬県人・日本人として正当な歴史認識の元に生活できず、名誉を傷つけられ(名誉毀損)、精神的苦痛を日々受け続けていると感じています。
 
ゆえに
 申請人が感じているこの精神的苦痛に対して、高崎市から1円、群馬県から1円の支払いを要求します。
 
 
 

添付書類紹介

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